大阪高等裁判所 平成3年(う)961号 決定 1991年12月24日
主文
本件控訴は、平成三年一〇月二三日取下により終了したものである。
理由
被告人は、家族の者に暴力を振るっていた息子A(当時二〇歳)を殺害したという殺人被告事件について、平成三年一〇月四日大阪地方裁判所で、懲役四年六月(未決勾留日数中九〇日算入、小型つるはし一本没収)の有罪判決の言い渡しを受け、同月一七日控訴を申し立てたが、同月二三日控訴を取り下げた。
ところが、被告人の弁護人平山明彦は、平成三年一一月五日付け「控訴取下撤回申立書」と題する書面をもって、要するに、控訴取下当時、被告人は平常心を欠き、適正な判断能力を欠いていたので、本件控訴取下は無効であると主張する。そこで、記録及び当審における事実取調べの結果をも合わせて調査、検討する。
被告人は、犯行に至るまでの事情について自分の言い分をさらによく調べてほしいという希望と、刑がもう少し軽くなるかもしれないとの期待から、右のとおり控訴を申し立て、第一審は国選弁護人で応訴したが、平成三年一〇月二一日に妻が面会したときには、私選弁護人を頼んでくれるように依頼し、妻からも、するだけのことはしましょうとの返事を得ていた。ところが、被告人は、同月二三日午前中に妻あてに「弁護士の件、キャンセル。まずいとき、すぐ返事くれ。」との電報を発信した(その電文は、「私選弁護人を頼んでくれるようにとの話は取り消す。しかし、すでに誰か弁護士に依頼をしていて、断りがたい事情があるのであれば、すぐ返事をくれ。」という意味である。)のち、同拘置所職員に備え付けの控訴取下書用紙をもらい、それに所用事項を記載したうえ署名、指印して控訴取下書を作成し、同日午後二時五〇分ころ同拘置所職員に差し出した。その後被告人は、一〇月二五日に妻の依頼を受けてやって来た平山明彦弁護士(当審弁護人)と面会し、「もう控訴は取り下げてしまった。」などと述べたが、一〇月二八日になって、「上訴権回復請求申立書」と題する書面と「控訴申立書」と題する書面(いずれも大阪高等裁判所あて)を拘置所職員に提出した。
以上の事実が認められる。しかし、被告人は、大阪拘置所内に備え付けの冊子によって、控訴を申し立てた後もいつでも控訴の取下ができることや、控訴の取下をすれば第一審の判決が確定して受刑しなければならなくなることを予めよく知っており、このことをよく知りながら、右のとおり控訴取下の手続をしたものである。そして、被告人は控訴取下の動機について、「自分ではどうにもならないんやけど、自分から裁判というのを切りたいというか。自分で裁判してるような感じで、自分でうんぬんしてるという。」、「(自分で自分を裁くというような気持ちだったんですか、と問われて)ええ、そういう感じやから、それはよしにしようやと。」、「(自分で自分を裁判するということは、Aに対してすまんことをしたという気持ちから、罪の償いをしなければならないということか、と問われて)はい、そうです。」などと供述しているのであって、本件事案内容からして、それなりに控訴取下の動機として了解できるところである。また、急に心境の変化をきたして控訴取下に至ったことに関し、被告人は、その前日(一〇月二二日)ころからなぜか妻にも見放されてしまったという孤独で落ち込んだ精神状態になり、裁判を続けるファイトがなくなったというような趣旨のことを述べており、被告人がいささか非日常的な、落着きを欠いた精神状態のもとで控訴取下を決断し、実行したことがうかがわれるのであるが、しかし、それだからといって、被告人が控訴取下当時、適正な判断能力を欠いたり、いちじるしく弱いものにしていたのではないかと疑うにはいたらない。
以上によれば、被告人は、控訴取下の意義、効果を十分に認識し、理解したうえ、自分なりに判断して控訴取下の手続をしたものであり、それにふさわしい訴訟能力を持っていたものと認められる。したがって、被告人のした控訴取下は有効であり、もはやその撤回は許されない。
このように、本件控訴は被告人の取下げにより終了したものであるが、前記の経緯に照らして、その趣旨を明らかにすることとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岡本健 裁判官 阿部功 山本哲一)